かっこつけからの脱却

18歳の時に初めて経営学に触れた。イノベーションやらブルーオーシャンやら横文字のテクニカルタームが多くて博識ぶるには最適だった。論述問題では「ニーズの多様化によりマス・マーケティングからワントゥワンマーケティングへとシフトした」とかそれっぽい言葉でそれっぽいことを書いて◯をもらって満足していた。

 

僕はバカ故に直ぐにカッコつけたがる。

三島由紀夫が好きなのも、そんな僕の表れなのかもしれない。

 

三島由紀夫の影響をもろに受けた僕にとって難しい日本語が並べられた文章が美しさそのものだった。「三島由紀夫が書いた」という核は消え去り、ただ難しい日本語が使われていればよかった。

 

まねは所詮まねでしかなく、僕の文体でない以上美しさは伴ってこない。

 

最近はカッコつけずに自分らしい文章がかけたらいいなと思っているけど、そっちの方がカッコつけることより何倍も難しいことは分かってる。

 

何を書きたいのかも全く分かっていないけれど、とりあえずまずはカッコつけることをやめたい。しかし、けしからんことに、まだこの投稿もカッコつけてるみたいだ。