好きな音楽のはなし
伝えたいこともなければ、オチもない。
ただただ好きな音楽を紹介したくなったので書いていく。
小中高と音楽をあまり聞かなかった反動なのか、最近は音楽が楽しくて仕方がない。
音楽を聞く時は意味よりも感覚を優先する。「考える」ではなく「踊る」が僕の音楽に対する基本的態度だ。7畳ワンルームで誰の目も気にすることなく好きに身体を動かす。そんな瞬間をとても幸せだと感じる。
最近のお気に入り
Chinatown Slalom - Where U At?
Deb Never - Swimming (Official Video)
1年,1ヶ月,1週間前には良いと思えなかった音楽が今は良いと思える。
自身に変化が訪れたからに違いない。
30歳を超えると新しい音楽を探さなくなるらしく、そんなの人それぞれだろうが自分にそんな時期が来るのならば少し怖いと思った。
歳を重ねるにつれて変化を拒むのかもしれない。
音楽と思想の関係を説いた本を読もうと思う。
If You Pray Right - BROCKHAMPTON
BROCKHAMOTONは、やっぱりかっこいい。
ついつい声に出して言いたくなる映画監督ベスト3
今日は名前がかっこよすぎるあまり、ついつい呼びたくなる映画監督ベスト3を決めていきます。
評価基準は実にシンプル
名前の新鮮さや語感の良さ、そしてかっこよさです。作品の面白さは全く加味されません。
では、さっそくいってみましょう。
まずは、第3位
出典:Wikipedia
サムに新鮮さはありませんが、ペキンパー1本でここまで勝ち上がってきました。
ペキンパーですよ、ペキンパー
どうです?言いたくなりません?
ペキンパーさんは『戦争のはらわた』『ワイルド・バンチ』『わらの犬』など多くの名作を生み出した監督です。
どこかは忘れたんですが名画座でペキンパーの『戦争のはらわた』を観たのをキッカケに知りました。
そもそも、僕の中で口に出したくなる映画監督というカテゴリーが誕生したのはペキンパーを知ったのがはじまりです。
ついつい言いたくなる映画監督以外に兄弟も自分の中でコレクションしてます。
ウォシャウスキー姉妹
ダファー兄弟
とかですかね。
あと、サムで思い出した全然関係ない余談なんですが、ボブがロバートのあだ名だと知った時の衝撃は未だに忘れられないですね。
あだ名って基本的に元の名残があるはずなんですがボブにはロバートの面影は何にもないんですよね。調べてみるとロバートを短縮してロブになり(この時点で怪しい)
ロがボの音に似ているからボブになったみたいですが、やっぱり納得できません。
日本でもそういうのはあったりするんでしょうか。
続いては、第2位
サタジット・レイ
出典:Wikipedia
インドの巨匠です。
ただ、恥ずかしながら作品を一本も見た事ないので何も知りませんが、名前はすごくかっこいいです。サタジット・レイとは自分の名字と同じ2文字が使われてるのでちょっとだけ親近感を感じてますが、それを抜きにしても納得のかっこよさです。
サタジット・レイは『大地のうた』『大河のうた』『大樹のうた』の3本がオプー三部作と呼ばれ高い評価を獲得しているようです。来週中あたりにTSUTATAで借りてきます。
また関係ない話なんですが新宿のTSUTAYAの在庫がかなり豊富でクラシック作品も豊富に置いてあるので映画好きにはかなりおすすめです。プレミアム会員になると月額1,000円で無制限に借りられるので興味ある方は是非。
サタジット監督は映画以外にも小説やカリグラフィーやグラフィックなども手掛けており多才な方だったようです。
さぁ、ついに1位の発表にうつります。
このブログは誰も読んでませんが一応言っておきます。
お待たせしました。
第1位は・・・
アッバス・キアロスタミです。
この方は、イランの監督です。
代表作には『風が吹くまま』『桜桃の味』『ホームワーク』などがあります。
アッバスでもキアロスタミでもフルネームでアッバス・キアロスタミでも、どんな呼び方でもかっこいい。個人的にはアッバスと呼びたいです。
『5 five 〜小津安二郎に捧げる』という作品を作っていたり日本でも撮影をしたことがあるようなので日本が好きなのでしょうか。サタジット・レイ監督と合わせてチェックします。
今回のベスト3は暫定なので、これからどんどん名前のかっこいい映画監督を見つけていければと思っております。
ちなみに、ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督もランキングに入れるか悩みましたが今回はこの3人に絞らせて頂きました。
次回は好きな音楽について書きたいと思います。
かっこつけからの脱却
18歳の時に初めて経営学に触れた。イノベーションやらブルーオーシャンやら横文字のテクニカルタームが多くて博識ぶるには最適だった。論述問題では「ニーズの多様化によりマス・マーケティングからワントゥワンマーケティングへとシフトした」とかそれっぽい言葉でそれっぽいことを書いて◯をもらって満足していた。
僕はバカ故に直ぐにカッコつけたがる。
三島由紀夫が好きなのも、そんな僕の表れなのかもしれない。
三島由紀夫の影響をもろに受けた僕にとって難しい日本語が並べられた文章が美しさそのものだった。「三島由紀夫が書いた」という核は消え去り、ただ難しい日本語が使われていればよかった。
まねは所詮まねでしかなく、僕の文体でない以上美しさは伴ってこない。
最近はカッコつけずに自分らしい文章がかけたらいいなと思っているけど、そっちの方がカッコつけることより何倍も難しいことは分かってる。
何を書きたいのかも全く分かっていないけれど、とりあえずまずはカッコつけることをやめたい。しかし、けしからんことに、まだこの投稿もカッコつけてるみたいだ。